われわれの育成年代での指導スタンス

 

★良い選手に育てる!

★トップレベルの選手に育てる!

 

ことを最大の目的としています。

それは、各年代の発育発達に応じて、『技術・戦術・体力・モチヴェーション』を伸ばし、

高校、Jクラブ、大学、どのようなスタイルのチームに行っても、順応し、活躍できる選手を育てるということです。

また、その中からプロが生まれ、さらなる極みに到達する選手が生まれてくれたらというのがわれわれの願いです。

ミレニオからすでに、Jリーガー3人、Fリーガー1人が生まれていますが、プロの世界でもっともっと活躍できる選手を育てていきたいと思っています。

 

試合では…

当然勝利を目指します。

しかし、正しくは、勝つための方法(戦術)を考えながら戦うということが、試合での最大のテーマになります。

つまり、それは、なりふり構わず勝利を目指すということではなく、

戦術を考えながら、的確に判断し、技術を駆使しながら、勝利を目指すという意味です。

それが、いつも言っている、『勝ち方にこだわる』ということであり、良い選手に育っていく一番の近道であると考えています。

 

日本では、昭和の時代から、小学生、中学生年代での日本一を決める大会が存在します。

また、その時代から、それに異を唱える指導者、関係者が存在するのも事実です。

 

私が7年間生活していた南米では…

全国大会に出場したい、全国制覇したいという目的をもってサッカーをしている子供はいません。

そもそも日本で行われているような育成年代レベルでの全国大会というものがなく、その大会の存在や意義自体、理解に苦しむのではないかと思います。

では、南米の子供たちの夢は…

日本のような学校スポーツは存在しません。

みんな、道ばたや広大な原っぱ、町のチームやクラブでサッカーを始め、プロを頂点に持つクラブの下部組織へ入団するチャンスを伺います。そして、もし入ることができたなら、一日も早く1軍に上がり(=プロ契約)、またそこで認められ、大きなクラブやヨーロッパへステップアップしていきたいというのが一般的でしょう。

 

日本は、南米のように、良い選手が自然発生的に生まれてくるというような土壌はありません。

ですから、各年代に応じて、発育発達に沿って、的確な指導を処方し、導いていかなければならないと考えています。

 

われわれミレニオでは、大会での優勝や全国大会出場などより、

 

★良い選手に育てる!

★トップレベルの選手に育てる!

 

ことを最優先に日々サッカー指導に携わっています。

『サッカー、きのう、きょう、あす(大谷四郎氏)』 イレブン1978年9月号より抜粋

 少年大会と中学生大会については、いくら夏休みにやりやすいとしても、この暑い最中にこの年齢の全国大会をなぜやらねばならないのだろうかと、毎年のことながら疑問に思うのである。

 ある少年サッカー指導者のこんな述懐を聞いたことがある。さる地方の小さな町で商売のかたわら見よう見まねの少年サッカー・スクールを開いて世話をしてきた。それがいつの間にかうまく育って、小手調べに全国大会の県予選に出たら予想もしない優勝をしてしまった。

 ユニフォームを新調する。父兄の後援会が同行する。補充食料も考えねばならない。負傷も心配だ。準備打ち合わせ会を何度も開く。

 その人は、

「これほどまでして子供の日本一を決めねばならないものでしょうか。子供のスポーツは楽しくやっておればいいのじゃないですか」といった。

 どうも日本一を作りたがるスポーツは多い。大人がそれを好み子供に及ぼす。そうして生まれてくる勝敗至上主義が子供の世界にも広がってゆく。サッカーでも、そうしないとオリンピックやワールドカップに出られないと考えているのだろうか。

 小学生や中学生の段階で全国のナンバー・ワンを競う競技会を開催している国は日本のほかにいくつあるだろうか。そんなことをやっている国は世界中ほとんどないだろう。それでも彼らは日本の手の届かないサッカーをやっている。

『アルゼンチンサッカーの秘密(セッサール・ルイス・メノッティ)』

 サッカーマガジン1981年12月号より抜粋

◆やってはいけないこと◆

 一つのサッカー・クラブには、一軍から少年たちまで、いくつものチームがある。その下の方のクラスのチームを、九軍(14歳以下)、八軍(15歳以下)、七軍(16歳以下)の選手権で優勝させようと一生けんめいになってはいけない。そんなことをすれば、子供たちは、悪いプレーヤーになるばかりである。

  これは、私の持論である。

 クラブの下部組織、つまり、少年たちのチームは 、人間として、プレーヤーとして、子供たちを育てるためにあるのに、タイトルを取るために彼らに重荷を背負わせては、子供たちを、ゆがめてしまう結果になる。そして大人たちの間違いを、子供たちに、みんな教えてしまう結果になる。

 勝つためのサッカーを大人が押しつけて、そういう芽を摘み取ってしまっては、元も子もなくなるからである。

 いま、アルゼンチンのトップクラスのクラブでは、ファーム組織の中でも、一時的な勝利を得たいというエゴイスティックな熱望が支配している。それで何が得られるのか。小さなタイトルを得て、ビクトリーランをすること・・・・・。それだけ。そして、少年たちの可能性を、つぶしているのだ。