ウルグアイ ・ サッカー留学 

el entrenamiento en el futbol uruguayo

 

イントロダクション

私も『プロのサッカー選手になりたい』という夢を抱き、1983年南米へと旅だった留学生の一人です。 ブラジル・サンパウロ州での最初の1年間は、知人のつてを頼りに、研修先のクラブで練習生として武者修行をするというスタイルのものでした。
言葉を覚え、技術的にも自信がついた2年目は、当初の目的『プロになる』という夢を実現すべく、単身でテスト先を見つけては自分を売り込む毎日を過ごしました。 そして、当時サンパウロ州2部リーグに加盟していたCAレンソエンセのテストに合格し、入団が決定しました。選手寮に引っ越し、練習も開始。 あとは正式な契約を交わし選手登録さえ完了すれば公式戦へのデビューを待つばかり。順調にプロ選手としてのスタートを切るかに見えたところで立ちはだかったのが、査証(ビザ)の問題でした。 当時のブラジル・フットボール評議会(CBF)の規約では、外国人がアマチュアからプロに転向する場合、永住権の所持が義務づけられていました。 当時から失業者があふれていたブラジルでは、外国人に就労も認める永住権を取得するのは至難の技でした。まして、サッカー後進国の日本人が先進国ブラジルで国技サッカーを職業にしては…
政界に通じる査証専門の弁護士を数多く訪ね、情報を収集しましたが、『金はかかるが、とれる保証はなし』というのが結論でした。 結局、あと一歩のところでブラジルに見切りをつけました。 今では、ブラジルも永住権だけでなく労働ビザでもプロ選手になれるようですが、何れも取得が困難であるという状況には変わりありません。
確かにブラジルは、世界一のサッカー大国です。サッカー一途に打ち込むことが出きれば、それなりにレベルアップもするでしょう。 しかし、たとえ実力があっても、プロ選手となるにはサッカー以外の様々な障害を乗り越えなければなりません。 労働査証取得の困難さは努力や理屈で何とかなるものではありません。
また、ブラジルには、治安の悪化や麻薬、夜遊びの誘惑など、留学生にとって好ましいとはいえない環境が取り巻くのも事実です。

そして、私は、ウルグアイへと移る決心をしたのです。

ウルグアイ留学のメリット

まず何よりも、ウルグアイ東方共和国の特長は、南米諸国で最も教育水準が高く、治安が良いということです。 特別な地域(港周辺など)を除いては、夜の一人歩きをしても全く心配がありません。
そして、日本人がウルグアイへ入国するのに査証の取得が必要ありません。滞在期間に90日という制限はありますが、延長や長期滞在に関して非常に寛大な国なのです。 AUF(ウルグアイ・フットボール協会)の対応も同じく、パスポートさえ持っていれば、協会への選手登録やプロ契約まで出来るのです。 もちろん、選手登録すべき選手か、プロ契約に値する選手かは、クラブ側が判断する事ですが…
決して簡単にプロになれるものではありません。しかし、ブラジルのように査証などの障害が立ちはだかるという事なく、実力次第で夢が実現できる国なのです。

成功への道

1st.ステップ
まずは、クラブ(ダヌービオFC、CAレンティスタスなど)にて武者修行。年齢に応じたカテゴリーで平日の午前中(または午後)、練習生としてトレーニングに参加します。
技術・戦術・体力などのベーシックコンディションを整え、紅白戦や親善試合での出場チャンスが巡ってきたら自己のアピール。あくまでも実力の世界です。

2nd.ステップ
紅白戦・親善試合での活躍で『戦力となりうる』と判断されれば、クラブの選手としてAUFへ正式に選手登録されます。練習生からフガドール(選手)となるのです。 そして、公式戦デビューのチャンスを虎視眈々と狙います。

3rd.ステップ
公式戦で実績を作り、首脳陣から『プロ』としての評価が得られれば念願のプロ契約。しかし、ここからが本当の意味での正念場。 チーム内での競争を勝ち抜いてポジションを奪わなければなりません。試練が待ち受けています。

4th.ステップ
リーグ戦、カップ戦などの公式戦でトッププロとしての実績を積み上げれば、国内外から有利な条件でのオファーが…
やはり世界を舞台に活躍する選手に育って欲しい。

ウルグアイサッカーの歴史

世界中を震撼させたオリンピック連覇(1924・1928)が評価され、ウルグアイは晴れある第1回FIFAワールドカップ(1930)の開催国となりました。 この地元開催のW杯決勝は、ウルグアイ対アルゼンチンのラプラタ決戦となり、地元の大歓声を受けたウルグアイが優勝を飾りました。 この時の試合会場センテナリオ・スタジアムは、今日ではFIFAによって世界サッカー文化財に制定され、今なお名勝負が繰り広げられています。
さらに1950年ブラジルで行われたW杯決勝でも、マラカナン競技場で20万人の大観衆を前に優勝候補ブラジルを破り、セレステ(空色の意、ウルグアイ代表の愛称)が再びジュールリメ杯を手にしました。
また、世界で最も歴史あるスポーツイベントといわれるコッパ・アメリカ(南米選手権)でも、ウルグアイはアルゼンチンと並んで優勝回数(14回)ナンバーワンを誇っています。 続くブラジルの8回を大きく引き離しています。
国内には二大名門クラブのペニャロールとナシオナルがあり、ともにインターコンチネンタルカップ(現トヨタカップ)3回制覇を実現しています。クラブレベルでの3度の世界制覇は、ACミランと並び文字通り世界一です・
南米の小国ながら世界サッカー史にその名を刻むウルグアイのサッカーは、ガウーチョ(カウボーイ)の土地柄から伝統的に勇敢で戦闘的なサッカーを展開します。 ディフェンスでは粘り強く逞しいだけでなくコースの読みやポジショニングセンスの高いプレーヤーを生み出し、攻撃では数少ないチャンスをものにするスペシャリストが次々と育っています。 こうした優秀な選手は世界中から注目を浴び、サッカータレントの輸出国として世界中にその名を轟かしています。

ウルグアイ東方共和国

1828年独立。ブラジル、アルゼンチンの二大国に囲まれた南米では最も小さな国のひとつです。 その自然の豊かさ、進んだ社会福祉から治安の良い平和的な雰囲気を醸し出し、ウルグアイ国民は質の高い生活を送っています。 スペイン、イタリア系白人が90%を占める人口は約300万人。公用語はスペイン語です。 ウルグアイ人の特色は情熱的でスポーツ好き、特にサッカーは国民的な人気を誇っています。 一年を通じて温暖な気候ではありますが、風と海流の影響を受けやすい冬季は冷え込みます。 広大な草原地帯(パンパ)を利用しての牧畜業が主な産業で、肉、羊毛、革製品の生産が盛んなところです。 メルコスル経済の中心地として栄える首都モンテビデオ市は、大西洋に注ぐラプラタ河の河口に発達した都市です。 南米では唯一海岸線に囲まれた首都として、国の総人口の約半数の150万人が暮らしています。 石畳の道と植民地時代の建物が残る旧市街は、郷愁をおびて趣があります。 また、逆にモンテビデオから続く海岸線(プンタデレステ)にはヨーロッパのリゾート地以上に豪華で明るい雰囲気が感じられます。 かつてはその街並みの美しさ、静けさから中南米のパリとも呼ばれていた時代があります。 市内には大小の公園が数多く点在、公害やスモッグとは無縁の自然の調和がとれた環境はまさにスポーツをするのに最適の都市といえます。

お問い合わせから

お申し込み・ご出発まで

1)お問い合わせのご連絡
   何でもご遠慮なくご相談下さい。説明会の日程を調整いたします。
2)説明会へのご参加
   当留学システムでは、ひとりでも良い選手を育成するために説明会へのご参加をお願いしておりま
   す。面談では、留学に対する心構えなどをお尋ねいたします。
3)留学プラン作成
   貴方のご希望に応じて最も適した留学プランを作成いたします。
4)留学申込書提出
   留学申込書にご記入、ご署名、捺印の上、当事務局宛に提出してください。
5)手続き費用納入
   申込書ご提出後、1週間以内に留学手続き費用を納入していただきます。
6)渡航手続き
   旅券(パスポート)の取得手続きを行ってください。
   ウルグアイ東方共和国は、留学目的であれば入国査証取得の必要はありません。
7)最終手続き
   パスポート取得後、出発便の手配をいたします。
   留学契約を締結、研修費・生活費・航空券代金などのお支払いをしていただきます。
8)ご出発